シンガポール出身で世界的に著名な写真家レスリー・キーさん!
ビヨンセやレイディー・ガガをはじめ多くのセレブを撮影、数多くの一流雑誌などに作品を提供してきました
山本耀司さんと親交が深いことでも知られています
また、最近では東京オリンピックに向けたNHKのプロジェクトも担当しています
そして、俳優でフィルムメーカーの斎藤工さん
映画「サラバ静寂」(吉村界人さん、森本のぶさん、SUMIREさん他)への出演や「パディントン2」の吹き替え、「Blank13」の監督(高橋一生さん、リリー・フランキーさん他)など多方面で活躍されています♡
斎藤さんはインタビューの中で
人生の半分はレスリーとともに過ごしている。珍しい、数少ない人ですね。親友です
今に至るまでのターニングポイントで撮ってもらってきた
と話しています
今回のうるとらスタイルでは、そんなレスリー・キーさんと、長年の「親友」斎藤工さんとの出会い・軌跡をまとめてみました!
レスリー・キーさんのフォトグラファーへの道~幼少期
1971年シンガポール生まれのレスリー・キーさん
ティオンバル地区にあるワンルームの「薄汚い」アパートで暮らしていました
妹と二人、祖母に育てられたといいます
13歳の時、それまでほとんど会うことのなかった母親に
誕生日プレゼントに何がほしい?
と聞かれたレスリーさん
妹の写真を残してあげたいからカメラが欲しい
と答え、母親からの最初で最後のプレゼント「ミノルタX-700」を手にします
そして、彼女はその4ヶ月後、この世を去ります
レスリー・キーさんのフォトグラファーへの道~転機
家計を助けるため、レスリーさんは平日4時間、週末8時間のアルバイトを始めます
バイト先は日本のカセットテープ工場
これが転機となりました
その工場で、レスリーさんは、日本のファッション・音楽雑誌や日本の人達にふれ、魅せられたといい、後の日本とのつながりの最初のステップとなります
17歳になったレスリーさん、この頃から愛機の「ミノルタX-700」で、結婚式のカップルの写真を撮り始めます
そうした活動をつうじ、自分にカメラの才能があることに気づいたといいます
日本での活躍・斎藤工さんとの出会い
そして、1992年に来日
働きながら、東京ビジュアルアーツに通い、フォトグラファーを目指します
その頃には、もう「内気で寡黙な」レスリー少年はいませんでした
1998年フォトグラファーとして本格デビュー
その翌年、18歳の斎藤工さんと出会います!
レスリーさんはインタビューの中で、斎藤さんとの出会いについて
写真家として1年目の時に、私の友人が『18歳で顔もきれいな子がいる』と言われて撮影した
文化服装学園のスタジオでした
レスリーさんと斎藤さん~その後の軌跡
(画像はAmazonとリンクしています)
2007年に発売された「ニッポン脱出~1981~斎藤工」では、レスリーさんが撮り下ろした写真が巻頭を飾ります
当時について斎藤さんはこう語っています
レスリーはすでに世界の最先端で活躍していてめちゃめちゃ忙しかったのに、全く無名だった僕を撮るために時間を作ってくれたのです
日本の発展途上の僕みたいな人間に、愛のスポットを当て続けてきてくれたんです
その後、二人はいろいろなプロジェクトをつうじ親交を深めます
(画像はAmazonとリンクしています)
2015年、レスリーさんの魅力に迫るドキュメンタリー「アートドキュメンタリー LOVE~写真家レスリー・キーの世界」には、山本耀司さんらも出演、ナレーションを斎藤工さんがつとめます
www.youtube.comその年の10月には、「The Independents directed by Leslie Kee(a short film featuring Yohji Yamamoto 2015 A/W Collection)」が公開!斎藤工さんも出演しています
2017年 2つの夢をかなえる
2017年、二人にとって二つの夢がかないます
その一つ目は??
僕たちは夢をかなえました。それはパリのコレクションに出るということでした
(2017年)1月、山本耀司さんの『ヨウジヤマモト(YOHJI YAMAMOTO) 』でタクミくんがランウエイを歩きました
バックパッカー時代、各国のモデル事務所に自ら応募していた斎藤工さんにとっても、大きな出来事だったのではないでしょうか
7月には、シンガポールで撮影されたERIC KHOO監督の作品「RAMEN TEH」に斎藤工さんが出演!その縁でレスリー・キーさんがスチール撮影に参加
そして、もう一つの夢がかないます
レスリー・キーさんの母国、シンガポールの観光大使に斎藤工さんが就任
そのキャンペーンビジュアルやドキュメンタリータッチのスペシャルムービーをレスリーさんが手掛けました
レスリーさんいわく
これも、2人の18年間があったからこそできたもの。単なる仕事ではなく、一緒に作り上げたものです
さらに、ファンとしては、「レスリー・キー編集長『斎藤工』っていう感じ」のアートブックの発売が待たれるところです
まとめ
レスリーさんは斎藤工さんとの出会い、夢についてこう語っています
われわれは情熱の人たちのおかげで、出会えて、夢をかなえることができました
必ずしも恵まれない環境に育ったレスリー・キーさんが、フォトグラファーを目指した日本で夢をかなえていくプロセス、斎藤工さんとの出会い・軌跡をまとめてみました
最後にお互いに対するコメントです!お二人の優しさがおふれでていますね!!
斎藤工さん→レスリー・キーさんへ
本当に視野が広くて、日本国内で仕事をしようとしていた僕に、『もっと広い視野を持って仕事をするように』と刺激をくれました
レスリー・キーさん→斎藤工さんへ
タクミくんはいつもポジティブで、育った言葉も年代も違うけれども、優しい心と強い心を持ち、大胆なことをやらせてくれる。だから彼のことをサポートしていきたいとみんなが思うんですよね
お互いにその立場や情熱を認め合う親友、これから、どのような形でコラボレーションが実現するんでしょうか?要注目ですね♬
以上 レスリー・キーさんと斎藤工さんの軌跡@アジアでした
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